表現型可塑性:遺伝的寄与と考えた場合

量的遺伝学の基本式

$$P = G + E$$

(表現型$P$は遺伝的寄与$G$と環境の寄与$E$からなる)において、表現型可塑性の占める位置はどこにあるのでしょうか。

 

まずは、表現型可塑性を可能にしている遺伝子があると考えて、$G$の中に可塑性を含めて考えてみます。実際、Lande が2009年に発表した論文ではそのような扱いになっているようです。


Adaptation to an extraordinary environment by evolution of phenotyp... - PubMed - NCBI

 

つまり、遺伝的寄与$G$を可塑的でない部分$A$と可塑的な部分$B$に分解して、

$$G = A + B(\epsilon)$$

とします(記号は論文とは異なります)。ここで$\epsilon$は「環境変化」を表す変数で、$B$をそれの関数とすることによって、可塑性による環境変化への反応を表しています。したがってより厳密には$G$や$P$も$\epsilon$の関数となって、$G(\epsilon)$とか$P(\epsilon)$などと書いた方が良いでしょう。まとめると、基本式は

$$P(\epsilon) = A + B(\epsilon) + E       ...(*)$$

となります。$E$はもともと環境の影響を表しているはずなので、この式では環境の影響が$\epsilon$と$E$と2重に入っているように見えますが、Lande (2009) の場合(というか普通は)、$E$はただの「ノイズ」として扱うので問題にはならないみたいです。この論文では可塑性がどのような機構によっているのかについては触れていませんが、環境変化に適応的に反応するからにはそれを担う遺伝子があるということは当然の前提なのでしょう。

 

さて、およそ以上のような設定でLande(2009)では式(*)を確率微分方程式として解き、大きな環境変化後の可塑性の進化を調べています。その結果、最初の数百世代では$B$の寄与が増加し、その後数千世代程度のスケールで$B$が緩やかな減少に転じて、それに代わって$A$が増加して固定化する、ということが示されました。Landeはこれによって遺伝的同化が説明できるとしています。

 

ここで注意すべき点は、進化の開始時点(環境変化が始まった時点)では、可塑性がない(B = 0)と仮定されている点です。つまり可塑性それ自体の進化も考慮していることになります。Waddingtonによる古典的な実験では、遺伝的同化は数十世代で完了するのに対して、Landeの計算ではそれよりも2桁も大きな時間スケールが必要とされているのは、可塑性自体の進化も考慮しているせいではないでしょうか(変異の蓄積により、可塑性を担う遺伝子が現れるのには長い時間が必要とされる)。これら二つの現象を同じ名前で呼ぶのも変な気がします。

 

表現型可塑性の解釈:遺伝子か環境か

 表現型可塑性とは?

表現型可塑性とはWikipediaによると

生物個体がその表現型環境条件に応じて変化させる能力のことである

この言葉は同じ遺伝子型でも表現型が異なる場合を指し、遺伝子型の違いによって複数の表現型が見られる場合(すなわち、遺伝的多型)は含まない。

だそうです。つまり同じ遺伝型でも環境によって異なる表現型になる「能力」こと。

 

表現型可塑性の(簡単な)定式化

表現型可塑性の効果を見るために、量的遺伝学の基本式

$$P = G + E$$

を考えてみます。ここで $P$ は表現型値、$G$ は遺伝子変異が表現型値に与える影響、 $E$ は $G$ 以外の表現型値に対する寄与で「環境偏差」と呼ばれます。この式は、要するに「表現型は遺伝子と環境の影響の和である」ことを表しています。

 

さて、表現型をこのように表した場合、表現型可塑性は $G$ の寄与なのでしょうか、それとも $E$ の寄与なのでしょうか?上で見た可塑性の定義によれば、「環境に応じて変化」とあるので、当然 $E$ の寄与のように見えます。しかし、さらに続きを読むと、「変化させる能力」とあります。環境に応じた変化そのものではなく、変化させる「能力」なわけです。この能力は当然なんらかの遺伝子によって担われていると考えるのが妥当でしょう。すると、可塑性は $G$ に含まれると考えられます。

 

表現型可塑性は $G$ と $E$ のどちらに属するのか?つまり遺伝子と環境のどちらの寄与なのか?可塑性という能力を担っているのは遺伝子だとしても、可塑性の発現自体は環境によって誘導されるので、可塑性は遺伝子と環境の両方に依存するというのがもっともらしいと思われます。より正確に言うと、能力(ポテンシャル?)としての可塑性は遺伝子によるが、その(可塑性の)能力が発揮された結果発現した表現型は環境による、となるでしょうか。すると、表現型可塑性は、見方あるいは扱う問題次第で $G$ と $E$ のどちらに属しても良いと思えます。

 

なんでこんな単純なことをごちゃごちゃ議論しているのかというと、可塑性の見方の違いが進化の見方の違いに大きく影響してくるように思えるからです。(つづく)

 

 

 

進化論の衝突: まとめ

保守陣営による「進化の本質」をもう一度まとめます。

  1. 自然選択
  2. 遺伝的浮動
  3. 突然変異
  4. 遺伝的組み換え
  5. 遺伝子流動

つまり、遺伝子型の変化とその集団内での変動が進化そのものである、ということです。表現型の変異は進化のきっかけまたは結果に過ぎず、本質的ではない、ということになります。

これに対して変革陣営は、表現型あるいは遺伝子以外の継承に関わる現象を4つ挙げて、従来の総合説を乗り越えるとする「拡張総合説」を唱えます。それらの現象とは

  1. 発生のバイアス
  2. ニッチ形成
  3. 表現型可塑性
  4. 非遺伝学的継承

ですが、最後の非遺伝学的継承については、「遺伝子以外にも継承されるものがある」と特に強調されています。しかしさすがに遺伝的に固定されないものを「進化」と呼ぶのは無理があるのではないかと思います。「ニッチ形成」に関しては、保守陣営は、すでにその枠内で長いこと(ダーウィン以来!)研究していると主張します。「発生のバイアス」に関しては、自然選択が作用する表現型の範囲を規定するという意味では影響があるだろうけれども、最終的に意味のあるのは遺伝する形質の差異であるとして、その本質的重要性を認めません。同様に表現型可塑性についても、遺伝的要因で生じた可塑性の度合いは進化のきっかけまたは結果としての重要性しか認めません。

こうして、変革陣営の主張はことごとく空振りに終わります。変革陣営の論理の何がまずかったのかを見るために、保守陣営の言う「進化の本質」をもう一度見てみると、「自然選択」以外は全て遺伝子型レベルの現象です。変革陣営の主張は主に表現型レベルの現象に関するものです。自然選択は生物個体の表現型に対して働きますが、表現型は遺伝子型に由来する寄与と個体発生の過程で生じた後天的(獲得された)寄与からなります。保守陣営の主張の要点は「遺伝子変異に起因する表現型変異で自然選択にかかるもののみが進化(遺伝子変異の固定化)に寄与する」というものです。したがってこの論理を崩すとすれば、「遺伝子変異に起因しない表現型変異で自然選択にかかるもの」が存在すればよいことになります。遺伝子変異に起因しない表現型変異とは、表現型可塑性です。自然選択はもちろん表現型変異に働きます。したがって、もともと表現型可塑性によって生じた表現型変異が何らかの機構で遺伝子変異に置き換わることができればよい、ということになります。これは可能なのでしょうか?

実はそのような現象は60年ほど前から「遺伝的同化」として知られています。始めは遺伝子変異を伴わない形質の変異が、世代を経るごとに遺伝的に固定化するという現象です。実際今回のディベートでも保守陣営がそれを指摘してますが、実験室の外での観察例がほとんどない、として態度を留保しています。 実験事実としての遺伝的同化は長く知られていましたが、それを満足に説明できる理論はありませんでした。

遺伝的同化を説明できる理論とその自然環境での観測が、どうやら鍵となりそうです。

進化論の衝突:保守陣営の視点

Does evolutionary theory need a rethink? : Nature News & Comment

保守陣営によれば、進化にとって本質的なのは

  1. 自然選択
  2. (遺伝的)浮動
  3. 突然変異
  4. 遺伝的組み換え
  5. 遺伝子流動

であり、それ以外は非本質的で「付加的なもの」にすぎません。このリストには従来の総合説の考え方がよく反映されています。まず、「自然選択」を除くすべての点は遺伝子あるいはゲノムレベルの現象です。そして保守陣営が利己的遺伝子の例を挙げていることからも分かるように、「自然選択」すらも(多かれ少なかれ)遺伝子(型)レベルで働くと見なしている可能性があります。つまり、保守陣営は進化という問題を遺伝子レベルの現象だと見なしているということです。すなわち遺伝子型の(集団内における)変動が「進化」の定義となっている訳です。以前、「生き残る原因……」と書いたときの「生き残る」の主語は「遺伝子型(ゲノムDNA)」と言う訳です。もちろん保守陣営の方も非常に具体的な例をいろいろ挙げているように、表現型を全く無視している訳ではありません。しかし遺伝子型の変動こそが進化だとする保守陣営にとっては、個別の表現型の例は進化のキッカケか結果(の一部)に過ぎず、それはそれで研究には値するけれども、進化にとっては本質的ではないということになります。逆に、生物の生存にとって有利でも不利でもなく、表現型の変化さえ伴わないような(中立な)遺伝子変異の変動は進化学の本質的課題の一つとなりえます。革新陣営が保守陣営を「あまりにも遺伝子中心的」と批判するのはこの点なのでしょうが、この批判は的を射てません。なぜなら、進化とは遺伝子変異の変動であるという定義により、遺伝子変異の変動以外の現象は枝葉である、という結論になるからです。

 

保守陣営の主張は論理的な一貫性がありますが、その基本仮定(進化の定義)の妥当性はまた別の問題です。「生物」は当然「いきもの」なので、個々の体(個体)があります。個体は遺伝子そのものではなく、具体的な形態や機能があります。各個体が与えられた環境で生き抜き、子孫を増やす能力に対して自然選択が働きます。本来の意味での自然選択は表現型に対して働くのです。したがって、表現型を考えることなしには自然選択は語れません。この点に関してはおそらく保守陣営も納得するでしょう。実際、遺伝子変異に起因する表現型の差異が自然選択を受けることによって遺伝子変異が固定化する、というのが従来の説です。とすると保守陣営の論理を崩す手がかりは、「遺伝子変異に起因しない表現型の差異が自然選択を受けることによって遺伝子変異を固定化する」事例を示せばよいことになります。遺伝子変異に起因しない表現型の差異とは、前に紹介した表現型可塑性に他なりません。

進化論の衝突: 表現型可塑性

Does evolutionary theory need a rethink? : Nature News & Comment

「表現型可塑性」とは遺伝子型が同一でありながら、表現型が異なりうることを言います。遺伝子変異を伴わないので、例えば環境の変化に対して素早く応答することができます。

変革陣営は、表現型可塑性による表現型変異は遺伝子変異に先立って起こり、その表現型変異を固定化する遺伝子変異があとから追随すると主張します。しかし遺伝子変異がどのように「追随」するのかははっきりとは述べておらず、そうなると、従来の総合説と同様に、有利な変異が少しずつ積み重なる、という仕組みと実はそれほど変わらないのではないかと思います。

一方保守陣営は、従来から表現型可塑性を無視しているわけではない、といいます。例として、木が光のよくあたる方へ伸びることをあげています。ここで注意すべきは、「柔軟に形などを変化させる能力自体」が自然選択に有利であったから、そのように進化してきたのだと彼らが考えていることです。つまり可塑性自体が遺伝子変異によって生じたということを重視しているわけです。これは確かにそうでしょう。しかし、これは変革陣営が言いたいこととはすれ違っています。変革陣営は可塑性はすでにあるものとしたとき、その可塑性によって新しい表現型が誘導される可能性について語っているのです。ここでも、具体的な表現型を重視する変革陣営と、軽視する保守陣営の違いがでています。

進化論の衝突:発生バイアス

しつこく続きます……

Does evolutionary theory need a rethink? : Nature News & Comment

発生バイアス (developmental bias)

発生バイアスとは、生物の発生過程では変化しやすい部分とそうでない部分があるということらしいです。この変化のしやすさの偏りがあるせいで、生物の表現型が必ずしも「なんでもあり」にはならず、環境の類似性などによって、似たような形態が異なる場所で出現しうる、というのが改革陣営の主張です。彼らは例としてマラウイ湖タンガニーカ湖に棲む魚の頭やあごの形の共通性を挙げています。また、これを従来の総合説で説明するとしたら、いわゆる「収斂進化(convergent evolution)」しかあり得ないのですが、偶然の一致にしてはよく似すぎている、となる訳です。とはいえ、従来理論も発生などの物理的な制約の影響は無視している訳ではないと思うので、発生バイアスというのがそこまで画期的なことかと言われると、よくわかりません。発生バイアスも進化の原因(の一つ)であるとする話の流れからすると、ある生物が現在あるような形であるのは発生のメカニズムが原因である、という意味で意義はあるでしょう。

 

ところが、これに対する保守陣営の反応はどうもすっきりしません。特定の生物のゲノムが可能な形質を範囲を制限することを認めつつも、「重要なのは形質の変異の範囲やその範囲を生み出す詳細な機構などではなくて、継承可能で、選択的に有利でありうるような差異なのだ」と言い出します。これは話が噛み合っていません。革新陣営は「この生物がこのような形質を持つに至った原因(発生学的機構)は何か」を考えているのに対して、保守陣営は「生き残る原因となる形質の差異は何か」を考えています*1。後者は有利な差異が見つかりさえすれば、満足で、その差異がどのような機構でもたらされたかということに関してはそれほど重きを置きません。この点が保守陣営が革新陣営に「あまりに遺伝子中心的だ」と批判される所以でしょう。しかし革新陣営側からの批判が妥当のものかどうかは「進化学」が何を目指す学問なのかに関わってきます。

*1:あえて「生き残る」の主語を省いて書いています。後述。

進化論の衝突:非遺伝学的的継承

まだしつこく続きます…

Does evolutionary theory need a rethink? : Nature News & Comment

 

非遺伝学的継承

なんと日本語訳してよいのか分かりませんが、原語では extra-genetic inheritance で「遺伝子以外のものの継承」です*1

 

改革陣営はエピジェネティックな変異が世代を超えて継承されること(もあるということ)から、遺伝子の継承(普通の意味での「遺伝」)だけでは説明できないことがある、と主張します。この記事の構成を見ると、上記4つのポイントのうちで、この点だけがわざわざ一つの段落を費やして書かれていることから、これが改革陣営のもっとも強い主張であると考えられます。

 

しかし、保守陣営はにべもなく「遺伝子から完全に切り離されたエピジェネティックな継承(非遺伝学的継承)を示す事実は知られていない」と突き放します。これは真っ当な科学的態度だと言わざるを得ません。この反応に対して、改革陣営ができることは観察/実験事実を着実に積み上げることしかなさそうです。

 

それに、エピジェネティックな変化というのはゲノムDNA配列の変化ではなくて、クロマチン修飾の変化なので、いつそれが解除されてもおかしくありません。エピジェネティックな継承があるにしても、いつかはそれが何らかの形でゲノムDNAの配列の変化として反映されなければ、それは「進化」とは呼べません。しかし革新陣営は「エピゲノム→ゲノム」転移がいかに可能なのかに関しては何も述べていません……

*1:geneticは普通「遺伝的」と訳して、inheritanceも「継承」のほかに「遺伝」という場合もあるので混乱します。genetic はあえて「遺伝学的」と「学」を入れて訳すことにします。