表現型可塑性の解釈:遺伝子か環境か

 表現型可塑性とは?

表現型可塑性とはWikipediaによると

生物個体がその表現型環境条件に応じて変化させる能力のことである

この言葉は同じ遺伝子型でも表現型が異なる場合を指し、遺伝子型の違いによって複数の表現型が見られる場合(すなわち、遺伝的多型)は含まない。

だそうです。つまり同じ遺伝型でも環境によって異なる表現型になる「能力」こと。

 

表現型可塑性の(簡単な)定式化

表現型可塑性の効果を見るために、量的遺伝学の基本式

$$P = G + E$$

を考えてみます。ここで $P$ は表現型値、$G$ は遺伝子変異が表現型値に与える影響、 $E$ は $G$ 以外の表現型値に対する寄与で「環境偏差」と呼ばれます。この式は、要するに「表現型は遺伝子と環境の影響の和である」ことを表しています。

 

さて、表現型をこのように表した場合、表現型可塑性は $G$ の寄与なのでしょうか、それとも $E$ の寄与なのでしょうか?上で見た可塑性の定義によれば、「環境に応じて変化」とあるので、当然 $E$ の寄与のように見えます。しかし、さらに続きを読むと、「変化させる能力」とあります。環境に応じた変化そのものではなく、変化させる「能力」なわけです。この能力は当然なんらかの遺伝子によって担われていると考えるのが妥当でしょう。すると、可塑性は $G$ に含まれると考えられます。

 

表現型可塑性は $G$ と $E$ のどちらに属するのか?つまり遺伝子と環境のどちらの寄与なのか?可塑性という能力を担っているのは遺伝子だとしても、可塑性の発現自体は環境によって誘導されるので、可塑性は遺伝子と環境の両方に依存するというのがもっともらしいと思われます。より正確に言うと、能力(ポテンシャル?)としての可塑性は遺伝子によるが、その(可塑性の)能力が発揮された結果発現した表現型は環境による、となるでしょうか。すると、表現型可塑性は、見方あるいは扱う問題次第で $G$ と $E$ のどちらに属しても良いと思えます。

 

なんでこんな単純なことをごちゃごちゃ議論しているのかというと、可塑性の見方の違いが進化の見方の違いに大きく影響してくるように思えるからです。(つづく)